スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

08年07月09日、今週2回目の出張先

今週2度目の出張先はこの写真でお分かりかと思いますので、あえて割愛させていただく。
詫間1
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
うまい!自ら大根を好きな量だけおろし『しょうゆうどん』にぶっかける。好みでゴマを乗せ、すだちを絞る。
これだけ・・・でも『うまい』毎回食べに行く一品である。写真は『しょうゆ大』で520円なり。

食後、現場に向かう道中、山頂にお城が見えたので城フェチの私、寄り道する。
詫間3
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
朝日山との名称。城の情報は『香川の古城址』から拝借した。以下抜粋、参考文献の『日本城郭大系15』のその他の城郭一覧に『大西在馬守長瀬の居城』と書かれており場所は麻城の近くになっている。同書の地図には朝日山の道を挟んだ山の辺りが城跡とされている。参考文献の『観音寺、三豊の古城址について』には『大門石、石垣、碁石(ゴウロウ石ゴロ)立つ空堀等残存山の高さ100m位』と書かれている。参考文献の『讃岐の城跡』の麻口城の場所は朝日山城と同一の朝日山が書かれているが別物の指摘もあるとも書かれている。内容は以下の通りである『地名辞典に朝日山には戦国期に大西在馬守長瀬が城主ば近藤出羽守国久、三豊郡麻城城主なりであった麻口城跡が残る」とある。讃岐人名辞典によれ天正中滅ぶ、国久は大平伊賀守の弟なり」とあるまた三豊郡史では近藤出羽守国久と大西在馬守長瀬は同一人物である。大西氏は阿波三好郡大西城主大西覚養が大戦に破れ自殺し、讃岐麻村に弟長瀬が走ったと大西氏系譜にある。高瀬町史によると「西讃府志」「三豊郡史」により麻口城を朝日山比定しているが、踏査の結果「昭和48年12月24日猪木原敏秋、大西季男の他高瀬町文化財保護協会関係者)朝日山山頂を麻口城と断定する事はできないと秋山忠氏は郷土資料12集で言っている」

朝日山山頂の狛犬
詫間4
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影

今日の寄り道目的地
詫間5
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
2年前くらいに偶然見つけた釈迦像があり今回も会いたくなり立ち寄った。

吉津の吉祥寺
詫間6
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
2度目の対面。何故このような顔なのか?感慨深く、思慮にふける。

吉祥寺近くの畑にて
詫間7
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
『ねぎ』が一面に。それにしても背が高いネギであった。

津島ノ宮(津嶋神社)
詫間8
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
詳細は他HPより拝借した。抜粋以下、津嶋神社の本殿は津島(昔は鼠島とも呼ばれる)に建てられており、橋で結ばれた海岸沿いには本殿以外の祈祷殿や参集殿、社務所などが松林の中に建てられている。島と対岸を結ぶ津島橋は、対岸より約250m離れており、夏季大祭の期間中(毎年8月4・5日の二日間)の前後以外は通行禁止として入り口が封鎖されて橋桁に敷き詰められる板も外されている。この橋は昭和8年(1933年)に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となり架橋されたものである。


津嶋神社と津島橋宝永3年(1706年)に本殿が造営されたと伝えられている。祭神は素戔鳴命である。牛馬の神と子供の守護神として信仰され、大正後期辺りより子供の守り神として親しまれている。 昭和27年(1952年)に「津島神社」より現在の「津嶋神社」に改められた。

海岸部分は潮干狩りが出来る遠浅の海岸で、「新さぬき百景」、「四国のみずべ 八十八ヵ所」(第七十三番)のひとつに数えられるように本殿の後景には瀬戸内海の島々が広がる景勝地でもある。

津島の宮を少し離れた所から撮影
詫間11
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
瀬戸内を心地よい風が抜けていたが、それにしても『暑い』ここも夏だ。

瀬戸内の夕日
詫間12
CanonPowerShotG9 マニュアル撮影
今日の仕事も無事に終わって明日の訪問地に向けて投宿地へ。時間は19時30分を過ぎていた。

スポンサーサイト

comment

Secre

プロフィール

通りすがりのタケやん

Author:通りすがりのタケやん
マイFC2ブログへようこそ!08年初頭から趣味にした『デジカメ』ネタと、出張先の風景を添えて日記として不定期でドバっとUpして行きます。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。